ロリじゃない

ロリを神聖視するのは、その純粋無垢さからである。が、世の発達具合のお陰か、悪意に染まる時期が低年齢化してきていると見ている。純粋無垢さそのものを大事にした見方では、俺はもうロリコンではいられないかもしれない。ペドフィリアである。

幼いものに向けたこの気持ちが劣情なのかはわからないが、自らの手で絶対に穢してはならないものだと心得ている。まさに神聖視と言えるし、最高に気持ちの悪い人間だってことは承知している。もちろん穢していいのは偶像だけだ、時代が時代ならマリア像だって精液まみれだったろうからぷにあなDX買うことくらいは許されるだろう。

幼いものを神聖視した結果、行動が変わった。信号無視を出来なくなった。大学生が連なって歩くとき、疲れ切ったリーマン、買い物袋を持ったババア、みんな無視して渡るようなほんの数メートルの横断歩道でも、昼夜問わず、信号無視して渡ることが出来なくなった。

もし、見られていたら?見たものも同じ行動を取るかもしれない、結果事故に巻き込まれるかもしれないし、怪我をしたり、命を落とすかもしれない。耐えられない。宗教なら、神はいつでもあなたを見ていますよ、となるところが、幼女はときおりあなたを見て、そのせいで死ぬ可能性がある、となった。自分の行動が他人の行動にリンクする可能性が浮き彫りになった。

それと、子どもの教育、生活環境なんかに考えを巡らせることが多くなった。俺に息子や娘ができることは無いだろうが、子どもの幸せについて考えることが多くなった。幸せにならないだろう環境に生まれてほしくない、とか、幸せにするためにどんなことをしたらいいかなど。幼女は考えるきっかけを与えてくれる。